◎ソリューションでのアセスメントについてのお話の部屋(1月の勉強会から)

 2024年1月の勉強会(Zoom)とその後の懇親会とかで話題になったソリューションでのアセスメントに関するお話の部屋です。質問、意見、感想など大歓迎です。
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コメント: 15
  • #1

    Sあいば (日曜日, 04 2月 2024 20:10)

    ソリューション、アセスメント、具体的事実についての質問(再改訂)  
    2024年 2月  あいばさちこ  
                    
     ちょっと前の勉強会の中で、何度か「アセスメント」という言葉が出ていました。それについて、参加者の中に誤解や混乱があるのではないか?そんな懸念を勉強会で提議したところ、いろいろな議論が巻き起こりました。それらについて少し考えてみたところを記します。

    ソリューションとアセスメント
     私がソリューションを学び始めたのは1990年代の終わりごろ、福岡でのインスーの講演や、磯貝先生の講座でした。従来の問題解決技法とは全く異なったアプローチに驚き、驚嘆したのを覚えています。問題の解明から入るのでなく、「クライエントと協力して、彼(彼女、彼等)の満足できる未来のイメージを作り、その実現のために協力する」という目的と、質問による方法がとても新鮮でした。その流れの中で『ソリューションではクライエントのアセスメントはしない』と言われた言葉が何の疑問もなくすんなりと納得できました。
     ちょうどその頃自分の相談室を開業したのですが、その中でアセスメントの必要性を殆ど感じないで仕事をしてきました。いくつか心理検査をした事はありますが、それは『どうなっているんだろう?』といった興味からであって、それによって面接の方針を変えるわけでもなく、アセスメントという意識は殆どありませんでした。
     相談以外に特別な援助手段を持たない相談機関では、いわば純粋にソリューションだけで面接することができます。テキスト(ピータ―・ディヤング、インスー・キムバーグ著『解決のための面接技法』第3版、第4版)に書いてある通りの、ソリューション面接の目的である「解決構築」に向かってまっすぐに進むことができ、そこではアセスメントは殆ど(全く?)必要なくなります。

    多くの職場におけるアセスメント
     ところが、多くの皆さん(対人援助の専門家)の職場はそうではない事を忘れていました。医療、福祉、発達、教育など対人援助に関わる多くの機関では、援助を求めてきた人に対し、決められた項目に従った聞き取り、書類への記入、必要なら種々の検査、テストなどを行うことが求められています。クライエントと、その問題についての状態や背景や原因を探り、それに基づいて提供できるサービス(治療、教育、制度の適用、助言など)の計画を立てるために、アセスメントは最初の手順として欠かせないものです。そのような手順、方法が必要であり、最も有効で効率的だと信じられ、実行されてきました。それらの機関そのものがいわば問題解決を目的に設立され、運営されている以上、当然な事だともいえるでしょう。
     この方法は病気など、診断(病名の確定)と治療の結びつきが確定されている場合には、とても有効です。しかし多くの領域では、クライエントは入り組んだたくさんの問題を抱え、複雑な感情を抱いてやってきます。上述したようなやり方(まずセラピストがアセスメントし、介入計画を立て、介入する、セラピスト主導のやり方)だと多くの弊害が起きることも知られてきました。クライエントからの抵抗、非協力、やる気の無さ、支援の中断、セラピストの疲労や燃え尽き、などです。
     アメリカでは30年くらい前から多くの臨床家がそれらの弊害に対する疑問を持ち、異なった対応のできる理論や技術(当事者の尊重、エンパワメント、長所志向など)を考え実践し、その中から解決構築技法(ソリューション)が生まれた、とテキストの第1章に書いてありました。日本でも多くの援助者の方々が、同じような悩みに直面し、ソリューションなどのいろいろな技法を勉強して、対処して来られたのでしょう。ですから多くの援助者の方たちは、ソリューションの立場で面接していても、所属機関の目的上、アセスメントはしなければならないという事なのだと思います。
     インスーの講座で、参加者の一人が『所属する機関でソリューション的でないと思う質問や情報収集が要求される時はどうしたらいいか?』と質問しました。インスーは「それらは面接の初めに理由を話してまとめて聞いてしまいなさい。それからソリューションのやり方で面接すればいい。」と言っていました。ソリューションだからそういう質問をしてはいけないという事ではないし、それらの情報を使ってはいけないと言うことでもないと思います。その中に後で役に立つ情報もあるかもしれません。

    ソリューションと『ものさし』
     ソリューションでアセスメントを必要としない理由を、ちょっと別の角度から考えてみました。そこで『ものさし』と言うコトバが頭に浮かびました。
     いろいろの機関でのアセスメントは、その機関の目的に合った『ものさし』による測定です。症状、生理的指標や心理検査などの数値、能力や性格、発達、障害、生活上の困難など、それぞれの機関の目的に対応した『ものさし』があり、その測定結果によって対応の仕方が決まります。ところが、ソリューションには『ものさし』がありません。クライエントの望んでいる解決は一人一人違って居て比較できるものではなく、『ものさし』で測定できないからです。
    実は初期の頃、一つだけソリューションにも『ものさし』がありました。
     テキストの第1、第2版には「クライエント~セラピスト関係のアセスメント」という項目が載っています。両者の関係の在り方を「ビジター」「コンプレイナント」「カスタマー」に分類し、フィードバックメッセージの出し方を変える、と言うものです。「それがソリューションにおけるアセスメントである。クライエント自身を評価するようなアセスメントはしない」と言われていました。
     しかしそれらのコトバも概念も第3版以降は載っていません。(フィードバックメッセージの出し方についての区別は、別の言葉で表現されて残っています。興味ある方はテキスト第7章をご覧ください)。なぜ消えたかという事は、私の想像ですが、どこかに「カスタマー=良いクライエント」というような評価的な感じがあるからではないでしょうか?クライエントの力を信じ、クライエント自身の望む解決を目指しているソリューションでは、セラピストがクライエントを評価する姿勢にならないのでしょう。(余談になりますが、現代のソリューションの実践家の中で、『コンプリメントも一種の評価だから、自分はやらない。』と言っている人も居るそうです。これは一寸極端すぎると思いますが。)
     『ものさし』なんてもう死語で、今の人は『スケール』と言うのでしょうか? そう言うとすぐに思い浮かぶのはスケーリング・クエスチョンですが、ご存知のようにこの質問で数字を決めるのはクライエントです。ソリューションでは『ものさし』はクライエントが持って居る、しかも目盛りはその都度クライエントが決めるとも言えますね。いずれにせよ、ソリューション面接の技法の中にはアセスメントは存在しないとハッキリ言ってよいと思います。


    具体的事実についての質問
     そう言い切ってしまうと、アセスメントに繋がるような質問を控えてしまうかもしれません。それは誤解です。クライエントの現状や背景についての具体的質問はとても重要です。いくつかの面接ヴィデオの始めの方でステイーヴは、「仕事は何ですか?その仕事が好きですか?」と聞いて居ました。(これも余談ですがインスーは同じ質問の後「教師です」と答えたクライエントに「きっといい先生なんでしょうね。」と言っていました。これはコンプリメントかもしれませんが、インスーが言うと、とても自然でさりげない会話に聞こえます。)
     また人間の性(さが)として、人と会っている時何らかのアセスメントはしているのかもしれません。それが悪いのではなくて、それを一寸脇に置いてクライエントと向き合えばいいのだと思います。
     「クライエントと、彼(女)の願望をよりよく理解するため」には、具体的事実、特にその細部が重要です。どんな日常生活を送っているのか、その中で何を望んでいるのか、実際に願望が実現したら、具体的にどんな形になるのか?それが共有されないと、「その実現に向けて援助する」ことはできません。ミラクルクエスチョンについて、『奇跡の朝 の情景を、テレビのシーンのように具体的に描写してもらいなさい。』と私は教えられました。また、「好奇心が大切」とも教えられました。但し、問題への好奇心ではなく、クライエントのリソース、クライエントの描く解決への好奇心です。インスーは常に知的好奇心に満ちていました。好奇心を持って面接していると、「そこはどういう事?」「もう少し詳しく、具体的に知りたい」などの疑問が湧き、質問や注文がどんどん出てくる筈なんです。それらが「具体的事実についてのソリューションの質問」です。これらはクライエントをよりよく理解するためにとても重要です。
     「具体的事実についての質問」にはもう一つ大事な役割があります。それは『リソースの発見』です。リソース探しに特化した質問(得意な事は?趣味は?ホッとする時は?etc. )もよいのですが、クライエントの状態によっては、「ありません」と否定されてしまうこともよくあります。それよりも、何気ない日常生活の描写の中に、思いがけないその人のリソースがたくさん隠れています。「エッ そんな事なさってるんですか?毎日?スゴイ!」と、思わずコンプリメントしてしまいます。家族も大きなリソース源です。問題をたくさん抱えている家族のように見えても、その中にたくさんのリソースがあります。
     問題ばかり語っているようで実はそれへの対処のしかたが素晴らしかったり、不満たらたらの会話で「そんなに大変なのにどうやって・・?」とサバイバルクエスチョンができたり、ソリューションの面接は自由で、変幻自在です。「問題を聞いてはいけない」「プラス方向の質問をしなければ」などと萎縮せずに、事実についての質問をどんどんして下さい。クライエントの状況、行動、思いなどについて、具体的事実について、好奇心を持ってどんどん質問していいのです。クライエントのもつ潜在力を信じ、限りなき好奇心を持つと、必然的にそうなってくる筈だと、私は思って居ます。

     以上が今の私の考えた事です。同じようにソリューションの勉強をしていても、一人一人の立場や個性によって、言って居ることもやっている事も少しづつ違うでしょう。時代によって変わっても来ます。海外ではいろいろな論文が発表されているようです。インスーやステイーヴがまだ生きていたら、どんどん新しい考えを発表しているでしょう。
     「変化は必然」です! みんなで色々考えて、発表して、議論して、良いとこ取りでお互いに高めあっていく、そんな勉強会になればいいですね。

  • #2

    Sりゅうしま (日曜日, 04 2月 2024 20:11)

    ソリューションでは、問題の原因や理由を探す「アセスメント」はしませんが「リソース」探しは積極的にします。
     勉強会で「アセスメント」という言葉が出てくるときは、どうも問題の原因や理由を聞くというニュアンスなことが多い感じで、違和感を抱いています。
     ソリューションの基本を押さえている方はアセスメントしているようで実はリソース探しをしています。同じことを聞いていても目的が全く違います。その違いがわかっていれば、アセスメントと言おうがリソース探しと言おうがかまわないと思うのですが・・・

  • #3

    あいばさちこ (月曜日, 05 2月 2024 16:16)

    掲載有難うございます。
    龍島さんのお陰でホームページが出来て、どんどん充実して行くのは嬉しいです。
    皆さんのご意見お待ちしています。

  • #4

    Sりゅうしま (金曜日, 09 2月 2024 11:51)

    あと、クライエントの話しを共感的に理解しようとする時も具体的なことを聞きますね。その時も理解しようとすると共にリソース探しをしていますね。なので聞くポイントが、原因、理由探しとは微妙に違うと思います。

  • #5

    Sりゅうしま (金曜日, 09 2月 2024 19:08)

    コメントです

  • #6

    品田一郎 (日曜日, 11 2月 2024 15:25)

    さっちゃん、龍島さんのコメントを読ませていただきました。
    品田も書きます。この勉強部屋が活発になればいいなと願っています。

    ①アセスメントということばは避けた方がいいのかも知れないと思いました。思い浮かぶアセスメントということばのイメージが皆、それぞれだからということと、それにネガティブな響きもあるから。
    品田は「診断と治療」という日本語を「アセスメントとトリートメント」という医学モデルのセット用語としてなんとなく理解していました。ザックリです。アセスメントということばのネガティブなイメージはそこから来てるのかな。つまり、診断というのは、クライエントが知らないことでもドクターは知ろうとするってことだから。クライエントが「腹が痛い」と訴える。ドクターが「じゃあ検査しましょう」と。胃カメラなどで検査する。癌細胞が発見される。この状況では、クライエントが知らないことだがドクターは知っている。クライエント自身が知らないことをドクターには知られる。クライエントにとって、そういう関係の不気味さ、怖さがある。精神科の場合は、こんな腹痛➡胃癌などという一対一対応することは多くないというか、もっと複雑だけれど。
    医学モデルでは、クライエントとドクターは対等ではない。ドクターが上でご託宣を賜る人。上の人間から「おまえさんは、鬱病だよ」とか教えていただき、それをクライエントは従順に受け入れる。そういう上下関係の響きが「アセスメント」には付きまとっているのでしょうか。

    SFAはこの医学モデルからの接近法とは異なる態度を取っている。分からないけど、この接近を捨ててるってことなのか、単に慎重になってるってことなのか。分かりません。
    問題追及型・原因追及型の接近をしないということはいえるんですよね。だからクライエントは相手から侵襲されるような不安を感じないですむのかな、・・というSFA理解はいいでしょうか。
    ・・・じゃあ、SFAの方法はどういう接近なんだい、という疑問が起きます。

    ②接近方法として、さっちゃんが記してくれている「具体的なことを聞く」というのがしっくりときます。そうなんだと思える。クライエントが思い描くテレビ映像をみるように映像で示してもらう。「映像を語ってもらう」こと。具体的ってそういうことですかね。名付けるとするとなんという接近法なのですか?
    例えば、ある夜の家庭の居間で起きている出来事を映像で目に見えるように語ってもらったりする。品田は勝手に自分でこのやり方を「ビデオ的共感法」って名付けて常用してます。抽象的なことばで語られても分かりにくいことがあるけれど、可能な限り「映像で教えて」とお願いする方法。映像を共有できれば、共感ってしやすいと思います。「ことば」のやりとりではズレることがある。

    ③ミラクルクエスチョンというのも、ビデオ的共感法じゃないかって思ったりするのです。もしもクライエントの願望がかなえられたらば、その後の風景がどう変わっているのか教えてって頼むってことですよね。クライエントの脳裏に浮かぶ映像をこっちにも示して見せて、という。

    ・・・というところまでが感想です。とりあえずです。

    ④根本的な品田の疑問は、この接近法だけでクライエントのことが分かるのかなあ、クライエントに役立てるのかなあ、という疑問ですかね。ずうっとこだわっているのは、そこみたいです。クライエントの無意識を扱うことってどうするのかな、という問題意識かも・・・。

    ⑤話が変わりますが、以前の本に従来の接近法を右手使いだとすると、SFAは左手使いだ、場合によって両手を使い分けられたら便利でしょう、だからSFAは有効なんだ、みたいなSFAの方法の紹介がありました。でも、その例えは品田は納得できなかったのです。面接のOSはひとつにしたい。やるならSFA一本の手順で面接を組み立てたいなと思います。

    ⑥さっちゃんがインスーの話を引用されていましたね。➡【インスーの講座で、参加者の一人が『所属する機関でソリューション的でないと思う質問や情報収集が要求される時はどうしたらいいか?』と質問しました。インスーは「それらは面接の初めに理由を話してまとめて聞いてしまいなさい。それからソリューションのやり方で面接すればいい。」と言っていました。ソリューションだからそういう質問をしてはいけないという事ではないし、それらの情報を使ってはいけないと言うことでもないと思います。その中に後で役に立つ情報もあるかもしれません。】
    現場では現場で流通するやり方をとりあえず取って、でもその後でSFAを使えばいい、ということですよね。思うのですが、このやり方は時間のムダが生じるし、SFAの面接方法がクライエントのためになるものであれば、そんな回りくどいことをしないほうがいい。インスーはとても現実的な処理の方法を説明したと思うけれど、本来はそんなことはしないに越したことはない。ふたつの方法を採用してしまうと、クライエントが混乱する。担当カウンセラーの面接の骨格を見えなくさせてしまう。
    ・・・と思いました。
    雑駁な感想を書き連ねました。思いつきばかりで熟考していないです。
    面接って、専門分野の異なる者同士の対話ではないか、というのが僕の考えなんです。クライエントは本人自身のたくさんの事実を知っている(気づいていないこともある)専門家。一方でカウンセラーは、クライエント本人のことを知らないが、似たような問題でカウンセラーのところに来る人たちの話を豊富に情報として持っている専門家。その二人の話し合いが面接だ、と。

    ・・・とりあえずでした。

  • #7

    品田一郎 (日曜日, 11 2月 2024 21:43)

    自分の書いたものを読み返してみて、凹んでしまいました。
    インスーもシェイザーも札幌のSFAの皆さんも、なんというか、もっとあったかいんですよね。その感じを毎回参加させていただいて肌で感じているのに、斜に構えて理窟をこねてて、どうしてもっと素直になれないんでしょうかね。ムダなことばの空回り。

  • #8

    *りゅうしま (月曜日, 12 2月 2024 13:54)

    品田さんコメントありがとうございます。いろいろ広く考えていらっしゃるんだなあ。

     2月の勉強会で福祉職の方達から、アセスメントにはクラエントが持っているリソースを探すってのも入っていると聞いて、あっそうか職種(その人のよって立つ学問?)によってアセスメントの意味が違うんだと気づきました。私は、心理学によって立っているので、ほぼ品田さんと同じイメージです。心理学は、物理学や医学にあこがれて科学になりたいってことで発展してきた学問ですからね。人間のこころを、原因ー結果の因果律で解明するのが最終目的ですから。なので、品田さんと同じく、アセスメントという言葉の使い方には注意しなきゃいけないと思いました。

     品田さんが「この接近法(ソリューション)だけでクライエントのことが分かるのかなあ、クライエントに役立てるのかなあ」と書いているところなのですが、ここにもポイントがある感じです。
     「分かる」っていう時に、カウンセラー側がクライエントの問題の原因がわかるってことと、クライエントの考えていること、思っていることをわかるのどちらでしょう? カウンセリングでは「共感的理解」が強調されるのですが、それは後者の分かるです。ソリューションでもそうだと思っています。クライエントの問題の原因が分からなくても解決は構築できると考えているんですから。
     ソリューションではそういう意味での分かろうとする質問はかなり積極的、具体的にしますし、分かることでコンプリメントできるところやリソースを見つけられるようになります。
     クライエントの役に立つというのは、クラエントが問題は解決したとか、少しは良くなったなど思うようになることだとすれば、必ずとは言えずとも役に立つんじゃないでしょうか。
     ソリューションでは、どうやって、どうして解決したか? はあまりこだわりません。一人一人のクラエントによって違うだろうからです。クライエントが解決した!と言えば、聞いてみるかもしれないですが。
     品田さんのコメントを読んで思ったことをつらつらと書いてみました。

  • #9

    品田一郎 (火曜日, 13 2月 2024 22:34)

    龍島さん、ありがとうございます。
    自分の考えていることが龍島さんとのやりとりでだんだんクリアになっています。
    この部分についてはどうでしょうか。龍島さんの、
    【品田さんが「この接近法(ソリューション)だけでクライエントのことが分かるのかなあ、クライエントに役立てるのかなあ」と書いているところなのですが、ここにもポイントがある感じです。「分かる」っていう時に、カウンセラー側がクライエントの問題の原因がわかるってことと、クライエントの考えていること、思っていることをわかるのどちらでしょう? カウンセリングでは「共感的理解」が強調されるのですが、それは後者の分かるです。】
    クライエントの考えていることが分かる、そうなんですね。クライエントの語りからクライエントの思いが分かる、望みが分かるということがあるというのは、分かります。
    そして、もうひとつ、それだけではなく、カウンセラーがクライエントの問題(の原因とまではいいませんが)が、分かるってこともあるんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。カウンセラーはどっちも分かる可能性があるということです。
    前に、面接は二人の専門家の会話だと言いました。クライエントは自分自身のことをたくさん知っている専門家。カウンセラーは似たような人をたくさん見てきて事例をたくさん見てきた専門家、だと。二人の専門家が、情報を互いに提供しながら、クライエントについての理解を深める作業が面接ではないか、と。
    ジョハリの窓のことを思い描いているのです。二人の人がいて、二人の間に4つの象限がある。「二人とも知っていること」「自分は知らないが相手が知っていること」「自分は知っているが相手が知らないこと」「二人とも知らないこと」。この中で、二人とも既知のこと、二人とも未知のことは話題にならないが、一方だけが知っていて他方が知らないことを対話することで「二人とも既知のもの」とする領域を拡大していく。それがカウンセリング、と。
    SFAやそれ以外の流派の技法として「知らない技法」「無知の姿勢」「ワンダウンポジション」とか言われますが、誤解を招く言い方に思えるのです。あたかもクライエントが専門家でカウンセラーはシロウトですよ、って言ってるみたいな。そんなに卑下することはない。あまりにそれまでの分析系の人たちがエラそうに「じゃあ解釈しますが・・・。あなたは・・・」ってご託宣を賜ったことへの反発があるのかなあ。そんなに卑屈になるこたあない。自分のことについて知ってるクライエントと、一般知識やたくさんの事例の経験談を聞いてるカウンセラーの二者のコンサルテーションが面接だと思えばいいんじゃないでしょうか。
    ワンダウンやノットノウイングを技法として言うのは民主的な感じがするし優しい感じはしますけどね。

    過去の問題掘り起こし作業の穴凹に陥らないように、クライエントから上手に解決に向かう方向への話を引き出す。
    裁判所の三十数年の面接パターンが染みついてる感じはしますね。基本的な情報を聞くと落ち着く感が持てるみたいな、ね。勝手に使えるかどうか分からない基本情報ってもののセットがあるのかなあ。
    でも、原因なんかは分からなくても本人が「解決!」って思えればいいわけですよね。

    全然話が変わりますが、心理検査の問題ってSFA的にはどう考えるものですか。心理検査、査定は必要なものなのでしょうか。SFAの心理検査に対する態度、姿勢についてはどんなもんですか?
    心理検査といっても質問紙、投影、知能などあれこれとありますが・・。

  • #10

    サッチャン (木曜日, 15 2月 2024 19:10)

    品田さんコメントありがとうございます。ビデオ的共感法・・良いですね!
     一つだけ釈明すると、インスーが最初にやれと言ったのは、事務的に必要な書類の項目を埋めるみたいな事であって、SFA的でない面接で始めるという事ではないんです。面接技法はソリューション1本です。
     「この方法でクライエントのことが分かるのか?」品田さんはクライエントの何がわかりたいのかなあ? 無意識? たしかに解決は最初クライエントの無意識の中に沈んでいると言ってもいい。大事なのは、クライエントが自分でそれを見つけ出す事であって、セラピストが探り出して、コレだよと指摘することはできないし、する意味もないという事だと思います。解決に関係ない、無意識のその他の部分は勿論「触らぬ神に祟りなし」でしょう。クライエントの望みや、リソースを「わかる」ためには、ソリューションは優れた方法だと思います。
     もう一つ「知らない姿勢」は別に卑下している訳ではない。だって、目の前に来たクライエントの事を、セラピストは本当によく知らないんですから。心理検査の結果を読んだって、その人を知った事にはならない。検査は「このものさしで測るとこの数字になる」と言うだけの話。血糖値の検査と同じ。血圧と血糖値と、身長と体重と・・・後何が分かればその人が分かったことになりますか?
    クライエントはその人自身の人生の専門家、セラピストは一般的知識の専門家、お互いに対等でいいと思います。 家族療法でいう『ワンダウンポジション』って、なんか、胡散臭いと私も思ってました。ワザトラシイ?感じがしました。
     だんだん脳が弱って来て、メンドクサイ事を考えるとめまいがしたりするので、このへんでやめます。
     無責任な放言と思ってください。

  • #11

    品田一郎 (金曜日, 16 2月 2024 14:40)

    サッチャンへ
    返信ありがとうございます。
    ビデオ的共感法、ワンダウンポジションに理解を示していただいてうれしいです。ありがとうございます。

    サッチャンのコメントをいただいて、「さて、俺は何をクライエントとの関係に求めてるのかなあ?」と考えています。

    サッチャンのこの部分です。
    【「この方法でクライエントのことが分かるのか?」品田さんはクライエントの何がわかりたいのかなあ? 無意識? たしかに解決は最初クライエントの無意識の中に沈んでいると言ってもいい。大事なのは、クライエントが自分でそれを見つけ出す事であって、セラピストが探り出して、コレだよと指摘することはできないし、する意味もないという事だと思います。解決に関係ない、無意識のその他の部分は勿論「触らぬ神に祟りなし」でしょう。クライエントの望みや、リソースを「わかる」ためには、ソリューションは優れた方法だと思います。】
    僕は、クライエントが気づいていない部分について指摘してもよいのではないかと思っているのですね。そのことに気づきました。ジョハリの窓の話です。ヒトは自分自身の気づかないことがあり、その気づかない点について他人が気づいていることがある。だとしたら、それを指摘してあげることも自己覚知の上ではよいことではないか、ということですかね。せっかく二人で話し合っているのだから、そういう気づきも情報として示してあげるのは、相手に利するのではないか。
    その前提として相手に対する「愛」がないとダメだし、上から目線ではないことも必要と思いますが。気づいたのに言わないでいるのはもったいない。おせっかいになりますか。相手が自分で気づくまでそっとしておくほうがいいのかなあ。
    多分、僕の中の人間観にこういうことがあるのだと思うのです。「ヒトは自分に関する、ある大事なことがらについては、自ら目を背けることがある。それは自分自身ではとても気づきにくいことで、他者との関係の中で気づかされることが多い。だから面接というのが必要だ。対話の中で露わになるし、受容も可能になる。」というような・・・。気づきにくさということが、すごくガンコなものもあるので、自分ひとりでは自己治療はできないかも、と考えているようです。

    自分でもよく分かりませんが、被虐的なんでしょうか、「おまえはなあ、●●で」と本質的なネガティブなことを言われて、ガッツリと叱られたいという欲求があるのかも知れません。そういう気分ってないですか(笑)?。
    SFAってそういうガッツリ叱るって感じがないですよね。とても優しい。ちょっとおかしなことを言ってますね。

  • #12

    木村靖子 (金曜日, 16 2月 2024 18:20)

    「おまえはなあ、●●で」と本質的なネガティブなことを言われて、ガッツリと叱られたいという欲求があるのかも知れません。そういう気分ってないですか?
    ⇨ あーそうか、なるほど!「叱られる」事にも良い事あるんですね!
     では、私は?「嫌だわ!」と即座に心が反応!余計なお世話よ!傲慢ですね!
     そのくせ「間違っている事を教えてあげることは、正しいし、わかってて言ってあげないのは、優しくない!」そんな事を思って生きてきて、痛い思いをしてきました! 
     還暦過ぎて、 受け入れる準備のある人が、リクエストした時には、言っても良いけれど、違う人には、害にしかならないから、言わない方が良いのだなと考えるようになってきました。

     結論、リクエストを確認すればー♪なんでもありのSFA!なーんて!

     ケアマネのアセスメントに聴く項目は、てんこ盛りです。「人生をより良く生きていくために、阻害してしまう要因があって、それをね、一般人は知らないから、そこをちゃんと教えてあげなきゃダメなのよ!そして対策を提案してあげようね!取り入れるか取り入れないかはその人次第だけどさ!
    兎に角、要介護者が増えて国が赤字にならない様、みんなで努力しましょうね!
      税金を使っていると言うことはこういうことなんですかね!
    「なんで私の生き方、指図されなきゃいけないのよ、運動なんか大嫌いだし、規則正しい生活なんて嫌だよー!寝たきりの何処が悪いのよ!保険料いっぱい使ってやるー!」と悪魔の囁きが⁉️

     介護保険の初回面談の時、クライアントは、自分の人生がより良くなる事を諦めていたり、今どうしたら良いのかわからなくなって混乱して攻撃モードだったり!色々です。少しでも良くなりたいから、相談に来られています。勿論虐待ケースとかセルフネグレクトだと簡単ではありませんが。
     明日からの、目標について話す時は、やっぱ、SFAなんです!効果てきめんです!
    そして具体的な解決方法について、いくつか組み立て提案していきます、そして自己決定が出来れば、めちゃ嬉しくなっちゃうんですけどね!  違う時もあるもんで、とほほなんですが。
     なんとなく反応してしまいました!


  • #13

    西岡良洋 (土曜日, 17 2月 2024 16:01)

    品田さんの【あたかもクライエントが専門家でカウンセラーはシロウトですよ、って言ってるみたいな。そんなに卑下することはない。】

    を読んで、想いだしたSteveの言葉があります。
    彼は自分のことを「愚者ド・シェイザー」と言っているんですね。
    彼の文章は「理屈」の塊みたいで、ちっとも「素直」でなく、なかなか理解できないのですが(既存の心理療法理論に対抗する理論的な武装の必要性もあったのかもしれません)、そこの部分は心に残っています。

    その文章を引用する前に、まずはひとつ。

    (以下のエリクソンと言うのは、もちろん、ミルトン・エリクソンです。)
    「私だけのスタイル。そのセッションの最後には、クライアントは自分なりのやり方を知り始める場合が多い。もしくは少なくとも自分なりのやり方を見出せる自信を持ち始めるような場合が多い。したがって、多くの提案を行ったり、『エリクソン・スタイルの……奇抜な課題』を考え出すことで、クライアントを凌駕する必要はセラピスト側にはない。むしろセラピストに必要とされることは、クライアントが自ら選んだ方向に自信を持って進んでいくことを単純に支えることなのである。
     私は、70年代の大半と80年代の一部を『エリクソンスタイルの……奇抜な課題』を目指して費やしたので、未だにクライアントへのそういった介入を提案することを抑えるのに困難を覚えている。とはいえ、このような高級な課題を計画するようにセラピストを指導することは容易な仕事ではない。大半のケースにおけるこのような賢明な課題は、クライアントが既に口にしていた彼ら自身の方法に基礎を置くシンプルなものに比べ、効力が劣るとさえ思われるからである。」(『解決志向の言語学 言語はもともと魔法だった』法政大学出版局、長谷川啓三監訳p.389)

    『短期療法 解決の鍵』というスティーヴの古い著作には、クライエントの訴えをどのように理解(描写、マッピング)するか、についてのきわめて複雑な解釈枠組みが複数提示されています。でも複雑すぎで、使う気が起きないものばかりです。スティーヴはそういう専門的な図式(精神医学的なものでも、精神力動的なものではなく、システム論的なものと言っていいと思いますが)を使って、ある種の「見立て」と「介入」ができたのでしょう。

    しかし、幸いなことに、スティーヴの「倹約精神」のおかげで、そんな面倒くさいことを考える必要は、我々にはなくなったようです。スティーヴは「目的に対してもっとも単純でストレートな手段を好む。この観点は彼が発展させてきたソリューション・フォーカスト・アプローチ全体に行き渡っている」「ソリューション・フォーカスト・モデルは、望ましい治療効果を得るために使用する治療方法に関して、少しでも無駄を省き、効率を上げるように努力してきた」(インスー、スコット・ミラー『飲酒問題とその解決』斉藤学・監訳、p.54)からです。

    注目したいのは、

    1、スティーヴもやろうと思えば、「クライエントが気づきもしないような(うまくいきそうな)提案を行う」ことができた
    2、でもそれはクライアント自身の方法に基礎を置くものに比べ、効力が劣るとさえ思われた

    と上記『解決志向の言語学』の引用文ではっきり言っていることです。「奇抜な課題」は倹約精神により無駄と見なされたのでしょう。

    これを踏まえて、スティーブが自分のことを「愚者」と言っている文章を読むと味があります。
    以下で出てくる「エリクソン」は、先ほども登場したミルトン・エリクソンです。エリクソンのケースをスティーヴは「物語」のように読み返してこう言っています。

    「シャーロック・ホームズの物語のように、賢者エリクソンの物語は、他の登場人物、とりわけ、クライアントを十分に活かしきっていない。レストレード警部のように、これらのクライアントは、どんなに物語にとって重要な存在であろうとも、時には名ばかりの脇役にすぎないことがある。私たちにはどれほど彼らがセラピーに貢献しているのかわからないのである。しかし、私たちもエリクソンもヘイリーも理解しているように、セラピーという仕事をしていくためにはセラピストとクライアントの両者が必要不可欠なのだ。
     この観点から自分自身のケースを読み直してみたところ、私のクライアントがいかに賢明であるかが分かってきた。様々な『並外れた介入』のほとんどが、実際はクライアント自身のアイディアだったのだ!(…)
     賢者クライアントのペルソナを意識しながら自分自身のケースの物語を読み直すと、今度は残念ながら、物語中のセラピストが信じられないくらい愚かに思われてくる。まぎれもなく、私たちセラピストは賢者エリクソンに比べ愚者ド・シェイザーから学べることは少ない。」(『解決志向の言語学』 pp.43-44)

    ここでSteveは自分のことを「信じられないくらい愚か」なセラピストとか、「愚者ド・シェイザー」と言い、クライアントを逆に「賢者」と言っているんですね。ある意味、「卑下」しているようにも聞こえますが、僕は彼の物言いに朴訥としたユーモアを感じます。もちろん、クライアントに対する信頼や敬意もあるのでしょう。
    自分の機智を頼みとするよりも、もっと「シンプル」で役に立つことがある。
    そんなことを言いたいのかもしれないですね。

  • #14

    品田一郎 (日曜日, 18 2月 2024 11:39)

    おはようございます。
    木村さん、西岡さん、コメントありがとうございます。
    木村さんの
    【明日からの、目標について話す時は、やっぱ、SFAなんです!効果てきめんです!そして具体的な解決方法について、いくつか組み立て提案していきます、そして自己決定が出来れば、めちゃ嬉しくなっちゃうんですけどね!】
    また、西岡さんの
    【ここでSteveは自分のことを「信じられないくらい愚か」なセラピストとか、「愚者ド・シェイザー」と言い、クライアントを逆に「賢者」と言っているんですね。ある意味、「卑下」しているようにも聞こえますが、僕は彼の物言いに朴訥としたユーモアを感じます。もちろん、クライアントに対する信頼や敬意もあるのでしょう。自分の機智を頼みとするよりも、もっと「シンプル」で役に立つことがある。そんなことを言いたいのかもしれないですね。】
    木村さんがクライエントとのやりとりで感じておられることも、西岡さんの引用されたスティーブの語りにも通底しているものがありますよね。
    根っこは「クライエントを信頼する、敬意を持つ」ということでしょうか。そうだよなあ、と思えます。それに加えて、クライエントの思いについていくのが結果的には「倹約になる」「効果的である」という現実的な合理性もあるということでしょうか。

    「クライエントへの(全面的な?)信頼」がキモか。分かったことですが、そういう心境に至っていないんですね、品田君は。自分がクライエントよりも良い提案ができる場合がある、とどっか心の隅っこで思っている。そのことに気づかされます。
    フラットな関係性で、自分が良い提案だと思えることを思いついたら、提案する方が自然ではないか、お節介ではなく親切というものではないか? ☜ こういうちょっとひねくれた?発想はどうでしょうか。そういうのが背後にある。
    いや、フラットな関係というのにウソっぽさがありますかね。どっかでクライエントから「相談した甲斐があった。やっぱり品田カウンセラーは言うことが違う。参考になるなあ」みたいに思われたいという邪心があるので自分からの提案になる、・・・のかも。ふむ、この邪心は自分の中に絶対にあります。これじゃあダメなんだなあ。ホントの親切ではない(トホホ)。
    ・・・日々精進。

  • #15

    Sサッチャン (月曜日, 26 2月 2024 17:05)

    愚者ディシェイザー! 良いですね。西岡さん有難うございます。

     インスーがいつか言って居たことばを思い出しました。WSか講演の中で、雑談風に「昔はよくクライエントに「先生のお蔭で救われました」などと感謝された。でも、ソリューションのやり方に変えてからは、全然そんな事を言って貰えない。クライエントはみんな、自分の力で立ち直ったと思って居るから」ここで会場に大きな笑いが起きました。ちょっと「ぼやき」のように聞こえたからでしょうか?
     そうなんですね。クライエントの本来持って居る力を尊敬する‥・ソリューションでやっているとだんだんそう想えるようになるのかもしれません。実際にはクライエントが自分で解決を発見して行けるように、質問やコンプリメントでセラピストは力を尽くしているんだけど、それを感じさせない、クライエントが自分だけでやったと思えるように、黒子役に徹するところがミソなんじゃないでしょうか?
     でも、品田さん、クライエントにそう思わせておいて、ひそかに「これは俺の力なんだけど、相手は気づいて居ない。実は俺の方が一枚以上手(うわて)なんだ!フムフム」とひそかに自己満足に浸っても、バチは当たらないかもしれませんよ。
     それから、提案や情報提供についての質問では、「本当にクライエントの役に立つ情報を持って居るなら、それを教えないのはイジワルでしょ?」と言っていました。
     問題は本当にそれが役に立つのか?そしてクライエントがその気になるかと言う点でしょうね。
    提案としてポンと投げ出す、採用するかしないかはクライエントに任せる、そんな提案はしても良いと思います。「私はこう思うんだけど、どう?」みたいな。
     根本はやっぱり、人間対人間としてのフラットな関係かな?・・・・だってどっちも人間なんだから、それしかあり得ないと思いません?